時代が明治に変わる150年前、現在の千葉県船橋市や市川市で、戊辰(ぼしん)戦争での戦闘の一つ「市川・船橋戦争」があった。旧幕府軍の兵が逃げ込んだ家に残したとされる銃弾入れが、11月2日に船橋市西船3丁目の葛飾公民館である歴史民話講座で公開される。郷土史を研究する「かつしか歴史と民話の会」が企画した。 銃弾入れは船橋市印内2丁目の農家、田島隆さん(60)の家に伝わる。横約20センチ、縦約7センチ、厚さ約6センチの革製で、ふたの表に徳川家の家紋「三葉葵(みつばあおい)」が二つ入っている。 1868(慶応4)年閏(うるう)4月、江戸を脱走した旧幕府陸軍の撒兵(さっぺい)隊は、法華経寺(市川市)や船橋大神宮(船橋市)などに陣を敷き、新政府軍の福岡・黒田藩兵などと交戦。隊長の江原鋳三郎(後の素六、東京・麻布学園の創設者)が撃たれて重傷を負ったことで隊は散り散りとなった。 そのうち2人の兵が田島さんの先祖、七良兵ヱ(しちろべえ)の家に逃げ込み、風呂や食事など世話を受けた礼に銃弾入れを置いていったと伝わる。七良兵ヱは金塗りの葵紋が入った銃弾入れを仏壇の奥に隠し、大切に保管していたという。田島さんは「子どものころから祖父の五郎(故人)によく話を聞かされた」と懐かしむ。 「かつしか歴史と民話の会」によると、この地域は旧幕府軍を「脱走(だっそ)様」と呼び、戦死者を埋葬して墓碑をつくり、信仰の対象にもしていた珍しい土地柄だという。伊藤邦夫会長(81)は「こうした歴史を証明する非常に貴重な銃弾入れを見ることで、地域の歴史や文化に興味を持つきっかけになれば」と話す。 講座「かつしか歴史と民話あれこれ」は11月2日午後1時半~3時。郷土史研究家の綿貫啓一さんが市川・船橋戦争などの歴史を解説する。聴講無料。問い合わせは葛飾公民館(047・437・5072)へ。(平井茂雄)