「すましの郁雄 今は白骨となりて」。広島県三原市の平田力(つとむ)さん(88)が見せてくれた古いアルバムの写真には、こう添え書きされていた。写真の中の、すました顔の少年は当時、実家で共に暮らした一つ下のいとこ。8月6日、原爆投下の日に帰らぬ人となった。原爆に父や長兄の妻も奪われた平田さんは「平和が一番」と繰り返す。 実家は爆心地に近い広島市の鷹匠町(たかじょうまち)(現・中区本川町)にあった。米軍が原爆投下の目標にしたとされる相生橋(あいおいばし)のすぐ西側だ。呉服商や質屋を営む商家で羽振りはよく、洋間のある2階建てで中庭や蔵もあった。6人きょうだいの末っ子だった平田さんは父母や、兵役に就いた長兄の妻、いとこと暮らしていた。 市立造船工業学校(現・市立広島商業高)の3年だった1945年夏。学徒動員で、江波の三菱重工業広島造船所(当時)に通う日々だった。 8月6日朝、工場の外に積み上…